現代人の堀辺さんが、意識して「武士」になるという事は、
どういう事だったのか?
かつては身分であり、現在はそれとしては存在していないもの。
昨日の道場でおぼろげながら見えてきたのは、
武士になるということは、
「死生観」を意識的に持つことではないかと。
かといって死に急ぐわけでもなく、
死それ自体に過剰な意味を持たすのでもなく、
いざとなったら死ぬことを選ぶ・・・・つまり
生死にかかわらず正しい決断をせよという
『葉隠』的精神か?
鈴木邦男さんが堀辺さんから聞いたという話
<武士として生きる事に
ノウハウがあるわけではない。
武士として生きる事は、
武士として見られていることそのもの。
それを意識すれば、おのずと行動が決まってくる>
これは、ゴー宣道場の第一回で堀辺さんが言った、
<「愛国心」は教えられないが、
「国家」とはなんぞやということを子どもの時から学んでいれば、
おのずとそれは生まれる>と
いう事と、通じている気がいたしました。